北朝鮮核実験に想う
 
         
   
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  10月9日午前中に、北朝鮮が核実験を行なったというニュースが世界中を駆け巡った。今回各国は、歩調を合わせ中国やロシアも含めて北朝鮮の核実験に反対の姿勢を明確にした。国連の安全保障理事会は、14日午後(日本時間の15日午前)に非軍事の経済・外交制裁を規定した国連憲章7章41条に基づき、日米韓など9カ国が共同提案した北朝鮮制裁決議最終案を全会一致で採択した。
  18日、アメリカのライス国務長官が来日して、麻生外務大臣との日米外相会談を行なったのち共同会見して、「日本防衛のための米国のコミットメントは、日米安保体制の下でいかなる状況でも堅持されることが改めて確認された」と述べた。一方麻生外相は、北朝鮮が核実験を発表したことによって、日本も核保有に踏み出すのではないかとの懸念に対し、「今、日本として新たに核武装を用意するとの政府の立場は全くない。核武装が必要ないということは、いわゆる日本の防衛のための日米安全保障条約が確実に作動するというリコンファメーションがライス長官からなされたと理解していい」と語った。
  付け加えれば、ライス長官が「あらゆる抑止力で日本に対する安全保障を約束する」と表明したことは、日本国内にここのところ台頭し始めている核保有論も念頭に、米国の「核の傘」のもとでの抑止力を強調したものとみられる。
  この報道を聞いて一安心の日本人も少なからずいるであろう。しかし、この一連の流れを見る中で、やはり日本が敗戦国であることと、加えて勝利した米国の姿勢は自国の傘の下に日本を置いて、自国の庇護の下で日本に平和を与えているという考えが明白であることを改めて思い知らされた。これは与党の政治家が国家の主要ポストに就いて、米国の特に軍関係者と接する時に度々思い知らされる感覚だそうである。米軍の高官は、もっともっとハッキリとした言い方や態度でこのことを表現するという話を以前大臣経験者から聞いたことがある。
  だから、米国は年次要望書を毎年日本に送りつけてきて、日本を米国色の国家に変えて行く政策を採っている。日本の主要閣僚もそれを受け入れざるを得ない環境に置かれているということなのだ。
  だが、本当にそれで良いのか。農耕民族である日本人が、狩猟民族の習慣や法律を全て受け入れて、情緒や安らぎのある安定した「美しい国家」が果たして形成出来るのであろうか。一部の大資本・富裕層が牛耳る、貧富の格差の大きい、犯罪の多い、殺伐とした米国にどんどん似通った国家になっていっているのではないのか。

  政治・外交とは非常に難解なものである。特に米国のように世界制覇により、自国に利益をもたらし、国家を成り立たせる政策を採っている国には、絶えず対立する国や相手が必要である。ソ連邦が健全だった時は、自由主義陣営と社会主義陣営という大きな枠組みの中で、対立する相手が存在したため、今よりも返って平和であった。もちろん、局地的には紛争は起こったが余り広がりは見せなかった。ソ連邦が崩壊し、米国の一極集中的な世界になってから、米国は国内の政治のためにも対立する国や相手を作る必要に絶えず迫られている。
  まるで、宗教も文化も習慣も違うアフガニスタンやイラクのようなイスラム圏の国へ侵攻して、国を滅ぼし自国の傘の下に置き、狩猟民族である白人の習慣や法律を受け入れさせることが本当に必要でやってよいことなのであろうか。我が国が戦後60年以上経っても苦しむように、米国風の憲法を制定し、法律を変え、教育制度を変えて、いくら時間を掛けても民族の本質とそこに流れる血は決して変わらないであろう。
 

  だからと言って、もちろん北朝鮮の核実験を評価する考えは微塵もない。ならずもの国家と隣接する危険にどうやって対処すべきか、短期的には「米国の核の傘の下」で対処するしか方法が無いことは現時点では明白である。しかし、中期的・長期的観点から考えれば、そろそろ我が国も米国一辺倒の政策を見直し、我が民族に流れている血をもう一度取り戻して、米国との関係を悪化させずに手玉に取るくらいの器量をみせて、独自の慣習に基づく国家形成に着手すべき時期ではないのか。言うは安すしで行なうことは難しいことは、百も承知の上で提言しておきたい。

   
 
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