福井俊彦・日本銀行総裁を考える
 
         
   
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      7月14日、日銀が「ゼロ金利政策」の解除を決定して政策的に誘導する無担保コール翌日物金利の目標をゼロ%から0.25%に引き上げ、即日実施した。政策金利の引き上げは2000年8月のゼロ金利解除以来ほぼ6年ぶりで、短期金融市場で金利が復活するのは、2001年3月の量的緩和政策の導入でゼロ金利政策を取って以来、5年4ヶ月ぶりである。小泉政権発足が2001年4月であるから、小泉政権は今回のゼロ金利政策と共に誕生し、共に終わりを告げるということになる。
  日銀のこの政策転換には、6年前の苦い経験がどうしても頭を過ぎる。日経平均もこの5営業日で下げ幅が1,100円を超え、前途多難を予感させる。
  今回の日銀の政策転換でなんといっても気になるのが、この大転換政策が福井俊彦総裁の下で行なわれたことである。本年、わが国の株価は大きく3回下落した。その要因は、ライブドア社長・堀江貴文の逮捕、村上ファンド代表・村上世彰の逮捕、そして福井日銀総裁の村上ファンドへの投資問題表面化である。これらの不祥事は小泉改革の負の遺産を照らし出しているように感じられてならない。
 小泉政権は、この5年数ヶ月の間にわが国のあらゆるルールを変へ、アメリカ的市場原理主義を取り入れた政権である。小泉改革の基本は、規制改革による市場原理主義導入である。その改革の最大のバックボーンの一つがゼロ金利政策であったと言っても過言ではない。ゼロ金利政策を維持することにより、不良債権だらけであった金融機関を守り、本年3月期の決算では大手銀の収支は史上最高益を計上するまでに回復した。
  小泉総理は国民に2001年5月の就任時の所信表明演説で、「米百俵の精神」を説き、子孫のために痛みに耐える改革が必要であることを訴えた。その後の5年間は、国中にリストラと予算減の嵐が吹き荒れた。世の中にはニートとフリーターが蔓延し、痛みに耐え切れない企業は相次いで倒産、自殺者も急増した。
  一方、規制緩和の隙間に生じる法整備の遅れを手玉に取り、暴利を貪る新興企業も出現した。痛みに耐える国民には、当初彼らが恰もジャパニーズドリームのように映り、またマスコミも彼らをもて囃した。そして、彼らは遣り過ぎて自滅し、逮捕された。
 小泉政権は、学者や経営者・エコノミストに力を与え自分に反発する政治家を排除した。その代表格が政権発足当時に入閣した竹中平蔵・前経済財政担当大臣と総合規制改革会議議長として小泉改革の中心的役割を果たしてきた、宮内義彦オリックス会長だ。
  小泉政権は、彼らに権限を与え彼らの答申は直ぐに閣議決定されるという政党政治を無視したトップダウン型の政策決定システムを構築して、わが国のあらゆるルールを一変し市場原理主義に基づく新しいルールを構築した。
  福井総裁は、その間本来の日本銀行の使命である国家の金融システムの公平な審判の役割を果たして来たであろうか。識者の間で、福井総裁の評判は決して悪くない。紳士で仕事が出来る優秀な人物、ビジネスが分かり多少の利殖が出来る位でなければ日銀の総裁は務まらないと‥しかし、つい最近まで一般人が1,000万円預金して得られる利息は年間100円であった。それが、日銀の総裁が小泉政権終焉と時を同じくして裁かれるファンドを利用して、同じ1,000万円を自分が維持したゼロ金利期間に2.5倍に利殖していた。さらに、福井総裁の村上ファンドへの投資資金は、オリックスが管理運営する投資事業組合を通して委託運用されていたと聞く。どう考えても納得がいかないのが一般人の感覚であろう。
  アメリカでは、例えば大手業界に多大なシェアーを占めるオーナー同士が密会したことが明るみにでれば談合容疑で逮捕も有り得るという。そういう国だからこそ市場原理主義が根付くのではないのか。日本のような村文化社会にいきなりトップダウンで市場原理主義を持ち込んだら、新たな利権階級を創り出すだけではないのか。痛みに耐える多くの「負け組」と特権階級とも言える少数の「勝ち組利権集団」を創出した小泉政権の罪は余りにも大きい。
  私は、今まで一部の詐欺まがいのねずみ講的商売を除き、世の中に「虚業」は無いと信じてきた。「額に汗して働く人間」も「脳に汗して働く人間」も皆「実業」だと信じてきた。しかし、村上世彰が逮捕される直前に行った記者会見をTVで見て、彼に「虚業」を感じた。そのファンドを利用して日銀総裁でありながら私腹を肥やした福井俊彦にはどうしても納得がいかない。彼がどんなに紳士で有能なビジネスマンであっても、わが国の日本銀行の総裁である限り。
 
 
   
 
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