小泉政権と公共事業
 
         
   
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  5年数ヶ月続いた小泉政権が最終章に入り、マスコミでは、盛んに「小泉政権の光と影」に関する記事が掲載されている。
  その中で、光の部分としては、小泉改革により日本経済に強さが戻り、景気が回復したとされている。手段を選ばず「目的のためには、ぶれなかった」小泉政権に対する評価が最も高い。
  また、影の部分としては、何といっても「所得格差の拡大」が挙げられる。これに対し政府は、ジニ係数では先進国並みで、所得格差の拡大は高齢者の増加によるとしている。
  しかし、果たして本当にそうなのだろうか。小泉政権の手段を選ばない経済成長政策が、ニートやフリーター・派遣労働者を増大させ所得格差の広がる社会を構築しようとしているのではないのか。その人達が、高齢者になったとき一体日本はどうなっているのであろうか。彼らの中には国民年金すら納めていない人が大勢存在するであろう。正規雇用者との待遇の差は極めて高い。そんな人達が極端に増大した社会が構築されようとしている。日本の将来に暗雲が立ち込めているようである。
  小泉政権における財政再建政策は、飽く迄もリストラ政策であり未来に対して展望を持たない帳尻併せの政策であった。無駄を省いたと言えば聞こえは良いが、国も企業も挙ってリストラによる経済再建を進めてきた。その結果、国はマダマダであるが、大手企業はかなりの財政再建が進み、特に大手銀行を中心として景気が回復したかのような状況になっているのは事実である。
  しかし、この国で暮す国民や企業の社員の生活は、公務員の給与でさえ平均10%近くも減ったように決して良くなってはいない。所得格差が広がると、結果として機会の平等が損なわれ、国民に不安が広がり、必然的に犯罪の多い社会となるであろう。

  小泉政権下で特に公共事業は、まるで財政を悪化させた諸悪の根源のように扱われてきた。1995年と2005年を比較すると、国と地方の建設投資額は合わせて、35兆2000億円から19兆3000億円と約4割も縮小した。このうち、地方の投資額は、1990年代後半から徐々に圧縮されてきたが、国の投資額は小泉政権誕生により縮小された。しかし、就業者数や建設会社の数は以前高い数値で推移している。それでも、小泉政権はその後も毎年3%以上の公共事業費の削減に着手しているが、いくらなんでも削減スピードが速すぎるのではないか。
  加えて小泉政権は建設業界に対し、度重なる入札制度改革と公正取引委員会如いては検察当局による「談合」追及により更なる追い討ちをかけて日本の建設業界体の縮小・粛清を猛スピードで行なおうとしている。この件については、森田実氏が2006年5月6日のご自身のHP「森田実の言わねばならぬ[77]」で詳しく書かれているので、まだ読まれて無い方は、ぜひ熟読していただきたい。(http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/)
  この森田実氏のHPの中でも指摘されているが、アメリカに隷属した政策を取り続けることにより政権維持を図ってきた小泉政権の罪は大きい。
  一方、世界の工場となった中国や韓国を始めとする東アジアの各国は港や空港・道路といった大型の公共投資を相次いで行い、もはや東アジアの経済を牽引する国は日本ではなくなりつつある。逆に日本はアメリカに隷属するがために、今こそ花開きつつある東アジアの経済発展路線から自ら脱却しようとしている。そんな中、日本では小泉政権の間に、コンピューターやインターネットの技術が飛躍的に発達し、実態経済が余り伴わないマネーゲーム的産業が持て囃され、額に汗して働く産業が衰退した印象を強く受ける。それが、国民の気持ちを浮き足だたせてはいないだろうか。  
  次期政権には、ぜひ21世紀の日本に取って今何が一番大切な政策であるのかを冷静に判断し、そこで暮す国民が安心して、気持ち穏やかに暮せる成熟した社会の構築とその目的を達成するため欠かせない公共事業に対する早急な見直しを行なうことを熱望する。


 
   
 
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