少子化問題を考える
 
         
   
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     わが国の少子化が深刻な問題となっている。年間出生数は1973年以降減少傾向が続いていて、現在は当時の約半数にまで減っている。また、少子化は、高齢化社会の原因にもなっている。現在の高齢化社会は、高齢者の人口が多いのが問題なのではなく、少子化により高齢者の比率が高くなり過ぎているのが問題なのである。
 一方、世界的に見れば第二次世界大戦後の人口増加は、発展途上国で特に著しく、ここ20〜30年の人口増加は、「人口爆発」とまで呼ばれている。世界の人口問題は、食糧問題も発生させており、規模が全世界を覆っているだけに、その結果如何ではまさに人類の危機を予知させるほどである。
 「少子化問題」「人口問題」は、それを考える立場や環境により様々な考え方や意見が出てくる。政治や行政を司る立場で論じる場合、一個人として自らの人生設計から考える場合、男性の立場、女性の立場、様々な立場で自ずと考えに開きが出てくる。また、この問題は歴史や社会の縮図の結果から起こるべくして起こっている問題とも言える。今回は、色々な角度からこの少子化問題を考えてみる。

 歴史的にみると人類は多産多死から多産少子に変遷してきた。これは、発展途上国の人口問題を考えるとその傾向が顕著に現れている。途上国では人口増加が急激に進んでいるが、その要因としては発展とともによりよい生活への欲求が高まり、福祉の充実がなされDDTの普及やマラリア蚊の撲滅などの衛生革命が進み、各国とも特に独立後衛生に力を入れたことにより多産多死から多産少子の傾向に拍車がかかり、「人口爆発」とまで言われる状況となっている。
 一方、先進国においては女性の地位が向上して、高学歴化・晩婚化・未婚化の現象が顕著に現れてきている。特に近年においては、晩婚化・未婚化に加えて結婚しても出生率が低下するという状況である。これは住環境の問題もあるが、中絶件数の増加、避妊技術の進歩などが要因として挙げられる。女性の社会進出が進み、男女間の給与所得の格差が小さくなったことにより女性が職場を離れることが、生活水準の低下につながり勿体ないと考えるような風潮になってきた。それが晩婚化・未婚化を進ませ、それに伴い初産年齢が上がり、少子化が進んできたと考えられる。
  日本では立ち遅れているが、先進各国の政府は少子化対策を掲げ支援策を盛んに施してきた。しかし、その成果はというとなかなか解決に向かっていないのが実情である。現代の少子化問題は、政府が権力によって解決出来るような問題ではない。人類が発祥して以来、長い間続いた男性中心の社会が世の中の発達とともに揺らぎ男女平等社会へ向かう過程の中で避けて通れない大きな問題となっているのであろう。
 人類の歴史は長い間、男性は外で働き女性は家の中で子育てをして形成されてきた。その関係の中で、多くの場合女性は権力を持たない存在として位置づけられてきた。女性の労働は貨幣価値がつかない無償労働として扱われてきた。しかし、時代は変わり男女平等・男女同権の社会が確立されてきた。
  現代の女性の無償労働は、家事や子育てだけではない。地域における活動、PTA活動,家庭内介護等々お金は支払われないけれど人々の生活の維持に深く関係し浸透しているものが沢山存在する。昔から世の中は、女性の無償労働により支えられて社会が形成されてきたのであろう。しかし、時代が変わり特に先進国では男女平等・男女同権・男女共同参画社会の考え方が強く打ち出されてきた。
 数年前の厚生省のポスターに象徴されるように「育児をしない男を父親とは呼ばない」という意識付けが行われ、男性の育児参加が急務となってきている。現代の女性の多くは子育てに関する女性の負担を過度だと感じ、「育児の楽しさ」を感じる前に「育児の苦痛」を感じるのではないか。それが、出産・子育てに踏み切れない大きな要因になっているようである。
特にバブル崩壊後の日本では、高度成長期のように男性だけが稼ぐ給料だけでは、家のローンや子供の教育費等々をまかなえる時代ではなくなってきている。そのために女性が仕事をするケースも増えている。しかし、まだまだ女性が仕事と家庭を両立出来るような社会の仕組みにはなっていない。こういう社会では女性が自らの仕事を捨ててまで結婚や子育てに踏み切ろうとは思わないのではないか。
 一方男性の側はというと、戦後の高度成長期に男性が稼ぎ、家族を養い、費用面で子育てを分担するという一家の大黒柱として責任感が形成されて来たのだが、その考え方がバブル崩壊後に疲労し負担を感じるようになり結婚や子作りに踏み切れなくなっているのではないか。
 もちろん、少子化の原因はまだまだ沢山あるであろう。しかし、この問題は個々には個人の問題であるが、その大半は社会が作りだした結果である。人類の歴史の流れと広い意味での男女の関係・お互いの位置づけの過程の中で当然起こるべくして起きている現象と考えてもよいであろう。言いかえれば、少子化問題は現在の一見成熟した社会に暮らす日本人の心の問題、男性と女性の立場と意識の変遷の中で必然的に起きている問題ではないのか。医学が進歩して寿命が延び今世紀中には人生100年時代が到来するかもしれない。そんな時に次代を担う人間が極端に減少するのは確かに問題である。政治も行政も男性も女性も若い世代も、皆がこの少子化問題を冷静に捉え、時代が起こした結果なのだとすれば、人間の知恵を絞って時代に合った男女の役割分担を考え皆で解決に努力することが必要なのではないか。また、それをすることが自由と利己主義を同一視するような現代の風潮を見直し、思いやりのある世の中を再構築する最大の鍵になると感じるが、如何であろう。
 少子化問題は、現代人の個人主義的傾向を強く繁栄しているのではないか。政治や行政もこの問題の解決策を計るときには、小手先の政策ではなく、進歩した現代の人類が集団生活・社会生活を如何に形成し未来に向かって生活していくべきなのかを整理し国民に示した上で、国民の心を動かすような政策を採ることを熱望する。

 
   
 
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