アスベスト問題を考える
 
         
   
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 今年の6月29日の毎日新聞夕刊が、大手機械メーカー潟Nボタの社員や出入り業者等79人がアスベスト関連の疾病で死亡、18人が治療中、旧神崎工場では周辺住民5人が中皮腫を発症、うち2人が死亡しているという衝撃的な記事を報道してから約半年が経過しようとしているが、被害の深刻さを益々思い知らされる報道が相次いでいる。クボタの石綿パイプ生産に10年以上従事した251人の約半数が中皮腫や肺がんなどを発症、4人に1人がすでに亡くなっているという。一方、旧神崎工場周辺の住民の被害者は50人を越える見通しも出てきているという。さらに、民間の調査機関によると胸膜中皮種による死亡者数が2010年には年間1万人を超え2030年には2万数千人に上り、肺ガンによる死亡者数と合わせると2020年から2030年の間は年間5万人以上がアスベストが原因で死亡するという予測も出ている。

 わが国の有害物質についての対策は、欧米の諸外国に比べて10年も20年も遅れていると言われる。世界各国で危険がはっきりしていることから、すでに禁止されたり使用されなくなったアスベストを、この狭い国土で人口密度の高いわが国が、全面的な使用禁止が遅れ毎年大量に使用してきたということはどう考えても異常な事態である。国民はそれを選択してきたのか。それでも良いと判断したきたのか。そんなことは決してありえない。国民はただ知らないために、それを黙って受け入れざるを得なかった。その事実は、どこに原因があるのか。アスベスト問題には、有害物質に対する行政の取り組み方の問題点と、国民の側の社会問題に対する参加のあり方、知る権利と知らせる義務の問題が深く潜んでいるように感じる。
 もちろん、行政の情報公開や国民の社会参加はこの問題だけでなく、広くエネルギー問題や環境問題の課題でもある。

 そもそも、アスベスト(石綿)は天然に存在する繊維状の鉱物で、太さが0.2〜0.25ミクロンの非常に細かい繊維状の構造をしていて、やわらかくて加工が容易・熱や火に強く耐熱性・耐火性に優れおり、摩擦にも強く切れにくいため、耐摩耗性・可撓性にも優れている。また、耐薬品性にも優れ、酸やアルカリにも腐食されず、吸音性・吸着性・絶縁性があり、その上安価である。数々の長所があるため以前は魔法の鉱物といわれ重宝がられた。
 アスベストは様々な耐性を持っているため変化が受けにくく、空気中に浮遊するアスベストを吸い込み肺の組織に刺さると、15年から40年の長い潜伏期間を経て、肺ガン、悪性中皮種(悪性の腫瘍)などの病気を引き起こす。また、石綿肺(じん肺)や良性胸膜疾患(胸膜炎、びまん性胸膜肥厚、円形無気肺及び胸膜プラーク)などの病気になる場合もある。 空気中を浮遊するアスベストは、0.2〜0.25μ(1mm太さのものが飛散すると4,000〜5,000本)という目には見えない大きさのため、気付かないうちに吸い込んでしまう可能性がある。
 アスベスト原料はほぼ輸入に頼っており、年間の輸入量は1960年代から急激
に増加し、1974年の35万トンをピークとして1970年代及び1980年代にかけては25万トンから35万トンの高水準で輸入されてきたが、1990年代に入り年々減少し、2004年には8千トンと大幅に減少してきている。

 なぜ今問題になっているかと言えば、まず挙げられるのが、1970年代から1990年代にかけて大量に使用されてきたアスベストの影響が長い潜伏期間を経て、その製造や取扱いに携わってきた人への健康災害として現れ、肺ガン・中皮種等の労働災害として近年急増しているためである。
 また、調査が進むにつれて、作業従事者だけでなく、その家族や事業所の周辺住民にも中皮種の発生が確認されており、作業従事者以外への健康災害が問題視されている。
 さらに、1980年代頃までに建設された、多くの特に鉄骨増の建造物の梁や柱、駐車場の天井や壁に、防火・耐火・吸音性能等を確保するために吹付けアスベストが用いられている。これらの吹付けアスベストは、劣化や損傷によりその繊維が飛散して肺ガンや中皮種といった健康被害を及ぼす危険性が指摘されている。

 このようにアスベスト問題には大別して、鉄骨の耐火被覆等に使用された吹付けアスベスト問題と最盛期には3000種類もの製品に混入されたアスベスト製品問題がある。
 吹付けアスベストは、1955年頃より使用され始め、ビルの高層化や鉄骨構造化に伴って鉄骨構造建築物の軽量耐火被覆材として昭和40年代の高度経済成長期に多く使用された。1975年に特別化学物質等障害予防規則の改正により吹付けアスベストが禁止されたが、それ以後も、アスベストに代わって用いられたロックウールの7割はアスベストを含有するものが用いられていた。 1980年(社)日本石綿協会の自主規制によりアスベスト含有のロックウールの製造が禁止されたが、それ以後も1980年代は完全に使用されていなかったとは言いがたい状況の様である。
 一方、アスベスト製品も同じ様に1995年頃より使用され始め、その用途は3000種といわれるほど多いが、その約9割が建材製品として使用されている。吹付けアスベストが禁止された以後の1990年代半ばでも、年間約20万トンにも及ぶアスベストが輸入されていたが、多くの国民はその事実すらも知らなかった。大勢の潜在的被害者が生み出される中で、日本の社会に植え付けられた間違った認識がこの問題の重要性を隠し続け、より大きな社会的な問題にしてしまったのではないだろうか。
 2002年6月、政府はアスベストに関して、それまでの「管理して使用すれば安全」とした政策を転換して、原則として使用を禁止する方針を決定した。2003年10月に労働安全衛生法施行令が改正施行された。しかし、実際には禁止は10種類のアスベスト製品に限定されていた。
 欧米の諸外国では、すでに全面禁止という断固とした政策が採られていたのに、なぜわが国ではこの時期にこのような限定禁止の政策を採用したのか。また、禁止はなぜこの10種類の製品に限定されることになったのか、疑問は残された。
 この間の経緯は2002年12月に厚生労働省が、中央労働災害防止協会に委託して、技術専門家8人の委員からなる「石綿代替化等検討委員会」を設置した。代替化委員会は、代替可能な石綿製品の範囲は製品ごとに判断すること、代替品がないか、その性能が著しく劣るために、社会的に許容しがたい問題が生じる恐れがある場合は、代替が困難と判断して禁止の対象としないなどの方針を決定した。
 この時期のわが国のアスベスト禁止は、禁止というよりもむしろ、行政が主なアスベスト関連企業の代替化が完了するのを待ちながら、通達や通知という方法を用いて、代替化や1%以内に含有率を下げるように促し、準備が出来ていない業界は禁止を先延ばしにした様に感じられて仕方が無い。
 公衆衛生の観点よりも経済の観点が優先され、アスベストの使用継続が国民にとってどのような影響を与えるかというよりも、アスベスト製品の製造をやめることが業界にとってどのような影響を与えるかが優先された。
 今ひとつ、(社)日本石綿協会という公益法人がある。表向きは代替化に力を注ぐと言いながら、現実にはアスベストがいかに有益な原材料であるか、現在使用されている種類のアスベスト(クリソタイル)がいかに危険性が少ないものであるかを強調して、販売促進に傾注してきたように見える。
 公益法人の目的は、「積極的に不特定多数の者の利益を現実の目的とするものでなければならない」はずである。確かに(社)日本石綿協会は、アスベスト業界を代表する団体として、労働法関連の規制をはじめ、大気汚染防止法や廃棄物処理法など、わが国のアスベストについての政策に様々な形で関与してきた。そういう意味では、もちろん公益的役割を果たしていると言える。しかしそれでもなお、その活動内容全般から日本石綿協会の公益性について疑問を感じずにはいられない。
 
 このように、わが国にありとあらゆる所に蔓延したアスベスト問題は、「行政の国民よりも業界を優先して問題を先延ばしする体質」と「国民の社会参加への貧困さ」が引き起こした問題とも言えるのではないか。
 国民の側も一人一人が無関心を装い何でも行政任せにせずに、正しい行政が行われるようにチェックする姿勢と機能をもっと持つべきであろう。
 有害なアスベストの使用を前面的に禁止して、併せてこれまでに使用されてきたアスベストを時間をかけても社会から一掃することが、わが国の過去の清算と未来へ向かっての体質改善のひとつの重要な課題と言えるであろう。

   
 
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