日本の資本主義経済を救え
 
         
   
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  一体日本はどうなってしまったのだろう。連日のように報道される下校途中の幼い少女を襲う殺人事件、全国各地に広がるマンションやホテルの耐震強度偽装事件、代議士が政治資金集めのために弁護士の名義貸しを行って逮捕される等々、タガが緩んだというか国民の心に核が感じられないというか誠に憂える事件が相次いでいる。

 先日もある年配の識者の方とお会いしたら、「本当に現在の日本はもう手がつけられない、今更何が正しいとか、こうするべきだとかと発言する気持ちすらも起こらなくなった」という様な話をされていたが、確かに今のわが国に失望して自己防衛的な考えを持たざるを得ない識者の方はこれからどんどん増えていくであろう。

 高層建築物の耐震強度偽装事件は、一級建築士が偽った強度計算書を故意に作成してそれを民間の検査機関が精査せずに確認申請をおろして起きた事件であることは間違いないが、そこには設計会社だけでなくデベロッパー・建設会社・不動産会社が複雑に絡み合って起きた根の深い事件の様である。この事件が氷山の一角でないことを願うばかりだ。
 この事件を考えると、資本主義の終焉もそれほど遠くないのではと感じ始めてしまう。なぜなら、建築業界の関係者に話を聞くと特にここ数年来の価格競争は年々加速しており、「如何に安く見た目だけよい建物を造るか」に競争の矛は向いている様である。設計会社をはじめとする下請け会社に対する価格的な締め付けは、日増しに厳しくなっており耐震強度以外でも法律に抵触しかねない程価格競争が激化しているという話も聞こえてくる。「とにかくこの金額で出来なければ仕事は出さない」という、正常なコスト削減の枠を超えた価格競争が下請け会社に押し付けられ蔓延しているのが実情のようである。

 資本主義経済における正常な価格競争とは一体どんなものなのであろうか。放っておけば枠を超えた不当な価格競争に陥るから、なんでも直ぐ法律を制定して適正な競争が保たれる様にすればよいのであろうか。様々な法律と公正取引委員会のような監視機関に頼らなければ、もはや資本主義経済は維持出来ないということなのか。
 もしそうであるとすれば、間違いなく資本主義経済はその終焉に向けて歩み始めている。昨今の風潮は、何でも民営化=善・公共=悪である。民営化をすれば事業が合理的になりコストダウンに繋がると信じられている。しかし、「その合理性とコスト削減の次に来るものが何であるか」がもう結果として起こり始めているのになぜそれに気付かないのか。いや、とうに気付いているが無視しているのか。
 公共の土木工事の世界も状況は同じかもっと熾烈であるという。公正取引委員会の厳しい介入により「たたきあい」と呼ばれる熾烈な低価格による競争入札の時代に入り、各社とも仕事を受注しても赤字になる、受注しなければもちろん経営していけない状況に陥っている。下請け会社にも無論正常な価格で仕事が廻って行くはずがない。多分、近い将来この業界の会社数は半分以下になるであろう。要するに何万社何十万社という会社が倒産するということである。
 それでも、法律の制定や公正取引委員会の監視が正常な取引や価格競争を維持して、健全な資本主義社会のために貢献していると言い切れるのであろうか。

 今からでも遅くない。国は方針を変更すべきである。まず、ただ単に採算が合わないからという理由で何でも民営化ありきにせず、公が成すべき事と民が成すべきことをもう一度よく精査して、合理性と採算性だけに捉われず安全性と社会秩序の維持に目を向けるべきである。公が成すべき事と民が成すべき事をごちゃ混ぜにして、なんにでも直に競争の原理を押し付ける事が様々の分野で国民に悲劇を負わせる原因となっていることを現政権はもっと認識すべきである。国は国民の税金で運営されている、憲法で保障されている国民生活を維持するために国はもっと国民に責任を持った運営をすべきである。公がなすべき事は、例え規模を縮小し民間に委託する部分は増やしたとしても、その責任の所在は飽く迄も公が逃れずに持つべきである。それが、真の合理化であろう。その上で、行き過ぎた価格競争が起り難い社会の構築を早急に考えるべきである。現在の国の政策が、逆に行き過ぎた価格競争を助長して社会の規律が乱れ多くの国民が大変な目にあっていることを早く認め手を打つべきである。

 資本主義は決して悪い制度ではない。しかし、どんな良い制度も行き過ぎては歪みが出てくる。現政権は、日本の資本主義を改革という名の元に行き過ぎた領域に一気に持って行く危険性を孕んでいる。今すぐ手を打って「まっとうな社会、まっとうな日本を蘇えらせる」ことを強く熱望する。

 
   
 
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