建設不況の現状と建設業の課題
 
         
   
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 今回は、10月16日に憲政記念館において、森田実先生主催の森田塾東京教室で行った「建設不況の現状と建設業の課題」というテーマの講演の講義録を掲載します。

 皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました、岩見でございます。本日は、私の尊敬する森田先生のご依頼で建設業をテーマにお話させていただきます。講義に入る前に、少し私自身のことをお話させていただきます。私は略歴にも書きましたが、1980年に東邦ロードという建設会社を設立して、約28年間にわたり現在も経営しております。この会社は、交通安全関連工事ですとか道路施設設置工事、他には橋梁の補修工事、最近ではアスベストの除去工事などを行っている会社です。
 それと、私は1997年から約10年間にわたり、『建設21』という道路関係の行政誌の発行人をやっておりました。森田先生にお目にかかったのも、先生が2004年に発行された『公共事業必要論』を拝見して大変感銘を受けまして、先生に自分の雑誌でインタビューをさせていただいてからのご縁でございます。それ以後も雑誌を発行していた間は何度もご登場いただき、ご指導を受けてまいりました。
 本日は、私がこの30年近く会社を経営し、また雑誌を発行しながら、経験してまいりました建設業界について、マスコミ等で取り上げられない部分を中心に、ここ数年盛んにマスコミからバッシングを受けた建設業の真の姿・役割を皆さんにお話させていただきたいと思います。
 ただ、建設業と一言で言っても、土木と建築があり、公共と民間もあります。本日お話させていただくのは、公共事業系のとくに道路関連の話が中心になりますので、その点をお断りしておきます。
 それでは、講義に入らせていただきます。

 最初に、近年の建設業界の歴史を振り返り、それがどのようなことにもとづいて時が刻まれてきたのかを検証してみます。
1.近年の建設業の歴史とアメリカの影(国策と米国に踊らされ続けた建設業界)
@プラザ合意(1985年)
 私が会社を設立してしばらくした1985年、プラザ合意が結ばれました。
 これは、当時のアメリカはインフレから脱却はしたものの、その対策で行った高金利政策から結果的に莫大な貿易赤字となっておりました。反面、わが国と西ドイツが輸出超過であったため、円とマルクを高くして、貿易の不均衡を是正しようと、先進国が協調してドル安の実施を図るために決めた会議です。
 プラザ会議により、より即効性のある自国の輸出拡大政策を強硬に求めるアメリカの要請を受け入れて、日本政府は「地方公共投資を増やすことで内需拡大を図る」ことを国際公約といたしました。
Aふるさと創生(1988年)
 プラザ合意後、我国では急速に地方で公共事業が増えてゆき、88年には当時の竹下内閣で「ふるさと創生」と称して、すべての市町村に1億円が配られました。使い方には、国は関与しないで自由であったため、その多くは公共事業に投資されました。
 ふるさと創生以降、建設業界には国主導で急激に仕事量が増え、一気に冬から夏の時代に突入して行きました。
 プラザ合意により、急激な円高になり1年後には約倍の1ドル120円となりましたが、日本の躍進は続き、当時はとくに「ものづくり」「技術開発」の分野で世界に秀でた状況でした。
B日米構造協議(1990年)
 1990年6月末に、時の海部内閣は「日米構造協議」を締結しました。
 表面上、この日米構造協議はアメリカの膨れ上がった貿易赤字を解消し、日本の経済構造を開放するのが目的とされていましたが、実際にはわが国の国家予算をITをはじめとする技術開発とその普及に使わせずに、公共事業に重点を置くべしとする条約でありました(アメリカは日本の技術開発を封じ込めておいて、その間に独自で全米に情報スーパーハイウェイをいち早く完成させようとしたのです)。
 当時、自民党では金丸信副総裁・小沢幹事長の時代で、8年間で430兆円という公共事業が行われ、この間建設業界は潤沢に推移しました。反面、公共投資の財源の半分は、国債・地方債・財政投融資等の利子付きの資金であり、それが今日の膨大な国の借金に繋がっております。
Cバブルの崩壊(1990年代末)
 国主導の内需拡大政策の影響での景気過熱によるインフレ発生を未然に防ぐため、公定歩合が89年5月から5回にわたって引き上げられました。また、税制の見直しや土地関連融資の総量規制等が行われ、これらの政策により、株価・地価は急落し、1990年後半になるとバブルの崩壊が始まったのです。
 時を同じくして、自治体発注の建設工事が激減し始めました。地方冶自体は多額の地方債を抱え、財政は日を追う毎に厳しさを増していきました。
D小泉純一郎政権(2001年4月〜2006年9月)
 2001年4月に小泉内閣が発足し構造改革の名のもとに、国の公共投資も減らされ始めました。
 小泉内閣は、建設業界の内側に手を突っ込み、さも正義の味方を装うパフォーマンスにより、「建設業は悪」という風評をマスコミを使って植えつけることにより、国民の人気を維持しようとしたと言っても過言ではありません。
 もちろん、小泉内閣がそれまでの「建設業界をぶっ壊し」いままでにない建設不況をつくった一番の原因であることは言うまでもありません。建設業者10人に問えば10人が、自分達の業界は小泉政権により「ぶち壊された」と考えています。アメリカ依存と政策ポピュリズム…要するに人気取り政策ばかりに終始して、日本の風土や風習にもとづく国のあり方を見失い、基幹産業である建設業を壊滅的な状況に導いた張本人だと考えているからです。
 しかし、小泉政権以外でも建設業界は、アメリカや日本政府、その時々の政治家の影響を強く受け、踊らされ続けて生きてきた業界です。
 建設業界が俗に言われる、悪い業界なのかどうかは後ほどジックリ説明させていただきます。

2.建設不況の現状
 それでは、建設不況下の建設業者がどんな状態なのかをいくつか例を挙げてご説明します。
@市場の急激な縮小と価格偏重競争のダブルパンチ
 バブル崩壊時期と時を同じくして、新聞やテレビが「建設業はもういらない」と報道し始めました。さまざまな批判が展開され、その批判とともに仕事量も激減していきました。
 よく農道や林道に立って、テレビのキャスターが「この立派なスーパー林道も道路特定財源でつくられました。このような場所にこんな道路が本当に必要なのでしょうか」などという番組が、朝に晩に報道されたものです。しかし、この報道は大きな間違いでした。報道関係者は、スーパー林道は農林水産省の予算でつくるもので、国土交通省がつくる道路とは別であり、道路特定財源は使われないことを知らないで報道していたのです。このような偏見報道が繰り返し行われたのをいまでも鮮明に記憶しています。
 また、目まぐるしく行われる入札制度改革と工事量の減少から、建設業者には焦りが生まれ、「たたき合い」と言われる、低価格での受注競争に突入していきました。
 2000年代前半によく言われたのが、工事量が3割減の7割になり、受注金額も3割減の7割になり、7×7で49、これは売り上げが半減することを意味しました。
 それが最近では、工事量が最盛期の半分位になったものですから、5×7で35、これは売り上げが、以前の3分の1になることを意味しています。
 公共事業系の建設不況は、この市場の急激な縮小と価格偏重競争によりもたらされています。
A入札制度改革の是非と発注者
 入札制度改革の話に入る前にお話しておきますが、まず、公共事業の受注を希望する建設業者は、毎年決算を行った後直ぐに、経営事項審査を受けることになっています。
 これは、建設業者の企業規模・経営状況などの客観事項を数値化したもので、この経審の総合評定値を客観点とし、これに各官庁・地方自治体等の独自の基準(主観点)を加えた総合点数で、入札ランクを決定する官庁・地方自治体等がほとんどです。
 しかし、この経営事項審査にはどうしてもよくわからない部分があります。それは、重機械を多く使う建設業なのに、土地や機械という資産が少なくて、利益が出る会社の方が経営状況点数がよくなる点です。後ほどお話しますが、私は建設業は社会のインフラそのものだと考えています。それは、建設業者が所有している重機械が災害等への対応のような、いざという時にすごく役に立つからです。重機械を所有すれば当然、それを保管する土地や倉庫も必要になります。そういう部分が、建設業の経営事項審査に反映されないで、そういう資産を持たずに、利益を上げる方が評価点がよくなる制度にはどうしても首を傾げたくなります。 
 公共工事に対する社会的批判の高まりを背景に、平成12年11月、「公共工事の入札及び契約の適正化の促進に関する法律」が制定され、それ以後国及び地方公共団体において、公共工事に関わる入札・契約制度改革が繰り返し行われています。
 建設業者からすると、発注機関の数は多数あり、それぞれの発注機関が独自で入札制度を変更していくために、基準がマチマチでなかなか掴めずに右往左往しているのが現実です。
 入札制度改革の一番顕著な部分は、それまでの指名競争入札を改め、一般競争入札に変更されたことです。これを、工事の種類に関係なく行ったことによってかなりの弊害が出ていると思いますが、その件については後で詳しく説明します。
 発注者側は、自分たちが社会の批判を浴びないことをまず第一に考えるために、実態と合わない入札制度が多数出現しました。
 例えば、予定価格を公表しておいて最低制限価格を設ける制度です。この場合は、最低制限価格が、ほとんどの業者に予測可能な場合、例えば予定価格の80%であるとか、場合によっては最低制限価格が70%と公表されている場合ですが…。
 このような場合は、入札業者がみな同じ価格で入札を行うため、落札者をくじで決定することになります。これも、ほとんどが電子入札で行われるために、くじも入札時に3桁の数字をインターネット上に送るのが一般的です。入札価格は、10社とか20社とか、多い時は30数社が同札となり、電子上でくじ引きが行われ落札者が決定します。
 くじ運がよい会社はいいですが、落札するのは1社であり、くじ運が悪ければ、20連敗30連敗と普通に落札できません。くじ運に任せて、経営は成り立たないのは言うまでもありません。
 確かに、新しい時代が来ていますから、旧態依然の入札制度だけでよいとは思いませんが、入札制度を変更していく側の行政が、問題の真髄を考えずに自分たちに批判の火の粉が降りかからないようにすることを前提に、制度改革が行われているような気がしてなりません。
Bマスコミによりつくられた、建設業は「悪」の風評
 90年代の後半、バブルが崩壊する前後から、新聞やテレビが「公共事業はもういらない」と報道し始めました。キャンペーンと言ってもいいでしょう。
 たしかに、80年代後半から、先ほどもお話しましたが、アメリカにコントロールされた政府主導で公共投資が増えていきました。その中には、つくったけれど効果が上がらないものもあったかもしれません。その意味では批判されて当然な部分もあります。
 しかしその一方で、未完成な主要道路、下水道、防災工事など、まだまだ足りないところがたくさんあることも事実です。
 現在のマスコミは、森田先生もよく言われますがスポンサーによりコントロールされています。ものごとの本質とは別の自社の方針をトップが立て、それを基本に世の中をコントロールしようとしています。
 そのわかりやすい例が、アメリカ依存と政策ピュリズムにより、基盤のない政権を5年半にも及ぶ長期政権とした、小泉政権にマスコミが加担して、建設業バッシングを続けたことです。現在のマスコミの多くは、自分たちが立てた偶像により、莫大な利益と世の中をコントロールする恐るべき力を得ているのです。そのひとつの形が、「建設業は悪」の風評だと私は思います。  
C金融機関の貸し渋り・貸し剥がしの標的となっている建設業 マスコミとならんで、建設業者を大きな標的としているのが金融機関です。
 金融機関は、市場の急激な縮小と価格偏重競争で疲弊している建設会社に追い討ちをかけています。たしかに、先ほどお話したように、くじ運で経営はできません。そこで、建設会社の倒産件数は、ここ数年相当の数に及んでいます。経営が不安定なのは、事実です。
 しかし、そんな中で生き残っている建設会社は、みな必死で智恵をしぼり、コストを削減して頑張っているのです。しかし、そのような状況のなか金融機関は中小の建設会社を十把一絡げで見て、貸し渋り・貸し剥がしを平然と行っています。銀行だけでなく、県や市の信用保証協会まで、最近ではその傾向が強くなってきています。
 また、発注者の中には、前払い金が以前は40%だったものを20%に減らした発注者もあります。基本的に建設業はそんなに利益が出る業種ではありません。また原価の多くは人件費であり、現金で出費されるものです。それが、20%の前受金で工事を完成させるには、金融機関の応援がおのずと必要になる業種なのです。
 しかし、現在の金融機関はそんなことはおかまいなく、中小の建設会社からいかに早く資金を回収するのかだけを考えているように思えます。いままでと同じ融資を行っていれば普通に続けていられる会社に、急に貸し出しや手形割引の枠を縮小したり、再融資を口にして返済させておいて、二度と融資をしないようなことが横行しており、それが原因で倒産に追い込まれる建設会社が多数出ているのが実情です。
 これにも、マスコミがつくり上げた「建設業は悪」という風評が、少なからず影響しているようにさえ感じます。


3.本来の建設業の姿
@2種類の建設工事(大型プロジェクト工事と地域密着の建設工事) 建設工事には、大きく分けて高速道路網を全国的に整備するような大型プロジェクト工事と地域に密着して行われている建設工事があると思います。
 このことを皆さんにまずよく理解していただきたいと思います。 大型のプロジェクト工事は、その多くを株式市場に上場するような大手ゼネコンが受注して行われています。
 また、地域密着型の工事は、地域に根付き、親の代から受け継がれてきたような、地場の建設会社が中心となって受注して行われています。 もちろん、その受注状況はそんなに一言で割り切れるようなものではありませんが、基本的にはそのような感じでおこなわれているのが実態です。
A地域を守る建設業者の郷土愛と使命感
 終戦後、常に修繕の必要な家屋やでこぼこ道が至る所に点在し、道路・電気・ガス・上下水道の整備が急務でした。建設業はその中で多くの雇用を創出し、名実ともに社会基盤整備の中心的な役割りを担ってきました。
 地域密着型の建設会社の多くは、その土地の名士が地元貢献のために設立したものです。彼らは、地元の祭りだといえばボランティアで警備を買って出て、台風で川が氾濫しそうになれば、もちろんボランティアで川辺に土嚢を積んで災害に立ち向かってきました。これらは皆、自分たちの郷土に対する愛情と使命感から行われてきたのです。
B地方自治体と建設業協会の「防災協定」
 多くの地方自治体とその地域の建設業協会においては、「防災協定」を締結されています。
 私の住む横浜市でも、市と建設業協会横浜支部の間で「防災協定」が結ばれています。
 この協定によれば、風水害や地震により災害が発生したり、発生する危険性があるときは、建設業協会に所属する建設業者が自主的に緊急巡回や応急処置等を行うことになっています。
 そのために例えば台風が近づいてくれば、協会員の建設業者は会社に社員を待機させ、必要によっては出動して、緊急巡回や応急処置の対応を行うのです。
 ここで一つ、皆さんに知っていただきたいことは「防災協定」の基本が無償だということです。そのために、もしこの作業中に作業員が負傷した場合は、会社の労災保険ではなく、横浜市の消防士に適用される労災保険の対象になるそうです。
 地域の建設会社は、こうして昔から自分たちの郷土を災害から守ってきたのです。
C建設業者は地域のインフラ
 こうした建設業者の中に、ここ数年変化が起き始めています。
 私のよく知っている舗装会社の社長が、中田横浜市長宛てに「指名辞退届け」を提出しました。
 以前の横浜市では、建設業者をA〜Eまでのランクに分けて、指名競争入札を行っていました。それが、数年前にランクをAランクとBランクの2つにして、一般競争入札を採用したのです。
 これにより、建設業者の地域貢献度や会社の規模は、工事受注には殆ど関係なくなりました。自分たちが、郷土愛と使命感により守ってきた地元の仕事を平気で他の地区の業者が受注して持っていくようになったのです。
 建設業者も、もちろん人間です。ボランティアを行うためには最低限の生活の基盤がなければ行えません。一口に災害時の緊急巡回や応急処置といっても、それにはかなりの額の人件費や普段から用意しておかなければ行えない重機等が必要になります。
 それは、あくまでも建設の仕事をしながら蓄えなければ、他に蓄えようはありません。
 皆さんに、絶対にこれだけはわかっていただきたいことは、建設業者はそれ自身が地域のインフラなのだということです。その建設業者が疲弊していなくなれば、災害は間違いなく大きなものになっていくでしょう。
 いま、あちこちの発注者と話をすると、例えば「東海沖地震が来た時に、高速道路の点検や復旧にどれだけの人が集まるだろうか」というような心配が絶えません。
 以前、新潟県中越地震が起きた時は、関越道が地震発生からわずか100時間で緊急車両が円滑に通行可能な状態になるまでに応急復旧されました。被災直後から一般開放されるまでに、約6万8000台の緊急車両・食料品や生活必需品等の物流車両を含めた災害救助関係車両および路線バスや新幹線代行バス等が通行して被災地への生命線の役目を果たしたのです。この時、私も取材しましたが、自分の家が被災しているのに地震発生からわずか数時間で被災現場に集まり、寝ずの作業で復旧に貢献した人が数多くいたことに驚かされるとともに胸を打たれました。 建設業界がどんどん疲弊していくのを見るたびに、これからの災害対策は今後どうなっていくのだろうと考えさせられます。
D大型プロジェクト工事による建設技術の進歩
 ここまで、地域密着の建設会社についてお話してきましたが、もう一つの大型プロジェクト工事が社会や建設業界にとって大きな意味を持ち、多大な貢献をしていることは紛れもない事実です。
 それによって、例えば均衡のある国土がつくられ、国全体の国力が増しています。
 また、建設工事で大型プロジェクトの持つ一番の重要な意味合いは、建設技術の進歩に貢献することです。東京湾横断道もでき上がった時は賛否両論ありましたが、海底にまでトンネルを掘った技術は、トンネル掘削技術を大幅に進歩させました。こうした建設技術の絶え間ない進歩が、国の財産や国民を大きな意味で守っているといえるでしょう。
 しかし、現在の建設業界で行われている価格偏重競争では、いくら大手の建設会社でも技術開発に多くの資金を向けることは、非常に困難な状況です。
 現在のような状況が続けば、我国の国力は維持できなくなり、急激に国際競争力が落ちていきます。その時に建設技術の進歩が、国民にとってなくてはならない重要な課題であったこと思い知るのでは遅いのです。


4.建設業の課題
@国家予算に占める公共事業費
 「平成20年度一般会計予算の概要」を見ますと、一般会計の歳出の一番多いのが、社会保障関係費(21.8兆円、26.2%)、二番目が国債費(20.2兆円、24.3%)、三番目が地方交付税交付金等(15.6兆円、18.8%)です。この3大経費で、国家予算の約3分の2を占めています。一方公共事業費は(6.7兆円、8.1%)です。国家予算の中で投資的な費用といえるのは、この公共事業費と文教および科学進行費の(5.3兆円、6.4%)ですが、合わせても15%にも満たない割合です。それなのに、来年度の公共事業費の削減率はまた3%とも5%とも言われております。
 本当にこんなことを続けていて日本はよいのでしょうか? 確かに、以前の日米構造協議に基づいた8年間で430兆などという公共事業はまったく必要ないでしょう。そんな、アメリカに言われた過剰投資が必要だとは、決して私も考えてはいません。
 今月、森田先生に『新公共事業必要論』を発行していただきました。日本が世界においていかれない国づくりを行うためには、マスコミや政策ポピュリズムに押されて、筋の通らない構造改革の名のもとに、ただ公共事業費を削り続ける政策に一刻も早く終止符を打つべきだと考えますが、皆さんはいかがですか?
A迫りくるメンテナンスの時代
 次に「日本より30年早く高齢化が進んだ米国の橋梁」という資料を見てください。
このように、米国では1920年代から30年代にかけて、道路の橋梁建設が行われてきました。橋梁の寿命が約50年と言われていますが、米国では「荒廃するアメリカ」と言われましたが、1970〜80年代にかけて、落橋や橋の通行止めが頻発しました。
 これから考えますと、日本でも2010年代には多くの橋が高齢化して、補修が必要な時代に入っていきます。昨年の米国ミネソタ州のミネアポリスのインターステートハイウェイの橋梁が突然崩壊したのは、テレビでも大きく報道されたので皆さんもご記憶に新しいと思います。日本でも、国土交通省では直轄が管理する橋梁をここ数年で調査しておりまして、その調査結果により皆さんにもお渡しした資料にある橋の損傷状況が発見されました。この橋は、大型車両を通行止めにしてすでに補修を完了したと聞いていますが、放っておいたらミネアポリスの橋梁と同じようなことが起こったかもしれないと思うと恐ろしくなります。
 いまの公共事業費では、10年ごとに行っていた舗装の打ち換え工事もそのサイクルを延ばさなければならなくなってきており、迫りくるメンテナンスが必要な時代には対応できないのは、火を見るよりも明らかです。
 この春道路特定財源をあと10年続けるという案がでたのも、国土交通省筋の意見では、橋梁のメンテナンスが本格化するような時代になったら、もう未完成な主要道路の連結などに回す予算はまったくなくなるので、それまでの間に繋がっていない主要幹線道路等を整備してしまいたいという考えからだと聞いております。
B社会のインフラである建設業者の疲弊を食い止めろ
 いまお話したのは、国の公共事業費の削減を食い止めないと、安心・安全な生活は維持できないようになるという話です。
 もう一つ、先程からお話しているように、建設業には地域密着型の建設業者がいて、彼らは先祖伝来、郷土愛と使命感から地域を守ってきました。私の持論ですが、「自衛隊は外国から国民を守ります」が、「建設業者は災害から国民を守る」最大のインフラだと思います。
 その建設業者の多くが、倒産や閉業の窮地に立たされ、疲弊しています。
 それには、ただどこまでも競争の原理を追求する暴走資本主義、スーパーキャピタリングが制度化されて、公共事業にも適用されていることが大きな要因となっています。
 雇用と防災を考えれば、地域の建設会社は議論の余地もなく必要なはずです。それには、本来の姿を見失わずに、優良な地域建設会社が選択されるような「国民を守る競争制度」を産学官一体となって工夫するべきだと思います。
C国民が建設業の大切さを理解しないと国は滅びる
 皆さんは、「蛇口をひねれば水が出る」「スイッチを押せば電気は点く」「道路は安全に舗装されている」「休日には、新幹線や高速道路を使えば遠出ができる」ことは当たり前と思っていらっしゃるでしょう。でも、そこまで現在の社会を到達させて、それを維持しているのは、やはり建設業者なのです。
 先日、神奈川県内の地元では大手建設会社の社長さんとお話をしていて、その社長がおっしゃるのですが…早稲田大学の土木課を卒業された社員が、現場服にヘルメット姿で、陣頭指揮で作業員に指示をされていてそうです。そうしたら、たまたま信号待ちで高級外車が停まり、窓が開いて、お母さんがお子さんに言ったそうです。「ちゃんと勉強しないとああいう仕事をしなければならなくなっちゃうのよ」と…その社員の方もやはり「正直ガッカリした」と言われたそうですが、社会の建設業に対する理解はかなり偏見に満ちたものがあると思います。3Kだ4Kだと言って蔑んでいるところはないでしょうか?
 「土木作業員」という言葉がありますが、なにか人を見下したような響きを感じるのは、私の妬みからなのでしょうか?
 そのように受け取られている業界だから、マスコミもバッシングがしやすかったのではないでしょうか?
 まず、国民の多くが建設業を必要だと認めて、自分たちの生活の基盤を下支えしている大切な業界だということを理解していただきたいと思います。
 現在は、金が儲かる業種、マネーゲームのような業種が増え、もて囃されています。建設業は、私も30年近く経営してきましたが、そんなに儲かる業種では決してありません。ただひたすら、汗を流しながら、社会貢献ができるのが唯一の誇りのような業界です。ぜひ、皆さんに本来の建設業の役割と使命をご理解いただきたいと思います。建設業の大切さを理解していただかなければ、日本の未来は決してありません。  


   
 
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